Jリーグ
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日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、Jリーグ)は、財団法人日本サッカー協会が主催、社団法人日本プロサッカーリーグが主催・運営する日本のプロサッカーリーグ。日本サッカーの活性化・実力向上と、地域と一体となったスポーツ振興を目的に掲げている
スローガンは「Join!」(1999-2004年)「Amazing,J.」(2005-06年)、「Will Be 見せたい未来がある。」(2007年)
2008年現在、24都道府県に33チームのサッカークラブチームが加盟している。
変遷
[編集] Jリーグ発足以前
Jリーグ発足以前、日本サッカーを取り巻く環境は非常に貧弱であった。すでに日本リーグ(JSL)が行われていたが、1試合の観客動員数も人気カードで数千人、平均では千人程度であり、天皇杯全日本サッカー選手権大会等のカップ戦を含めても年間20万〜30万人程。サッカー日本代表の試合でも地方の小規模なスタジアムで開催し、それでも観客席はまばらな状況であった。社会人のトップクラスのチームでも練習設備は乏しく、試合会場のピッチは芝生が剥げ、冬になれば黄色く枯れ、雨が降れば水溜りが出来るものが一般的であった。選手はごく一部を除きアマチュアで、普段は会社員としての仕事をしており、とてもサッカーだけに集中出来る環境ではなかった。
1980年代後半、当時のFIFA会長であったジョアン・アベランジェからアジアで初めてとなるサッカーW杯の日本開催を日本サッカー協会へ打診されると、一気にプロリーグ構想が推進されていく。まもなく日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の発足が決定。初年度は10チームの参加により開始することとなり、1992年に「Jリーグ ヤマザキナビスコカップ」が行われた。
[編集] Jリーグ開幕とJリーグブーム
1993年5月15日、ヴェルディ川崎×横浜マリノス戦の開幕戦で華々しく開幕したJリーグは、それまでメジャーなプロスポーツと言えばプロ野球やプロゴルフ、大相撲くらいしか存在しなかった日本に大きな衝撃を与えた。同開幕戦はNHKが中継し、ビデオリサーチ調べ・関東地区で32.4%の視聴率を記録。試合は満員の観客が集まりテレビ中継も頻繁に行われた。1993年後期には全局のテレビ中継数は41本、うちゴールデンタイムでの放送が20本を占めた[1]。Jリーグ、サッカー関連の商品も多く売れ、各Jリーグクラブに大きな収入をもたらした。また、1993年には新語・流行語大賞を受賞し、まさに時代を象徴する存在にまでなった。
翌94年の1試合平均観客動員数は19,598人で、この記録は2006年シーズン終了時点でも破られていない。都市部にクラブが集中していたとはいえスタジアムの整備も現在と比べて行き届いておらず、さらに平日開催も頻繁に行った上でこの観客動員数は、当時のブームの大きさを窺わせる。
開幕当時、Jリーグの「親会社に依存した企業スポーツからの脱却」、「地域住民や自治体との連携」という考えは日本において極めて異色の独自性の強いものであったが、当初は「プロ野球のサッカー版」という見られ方をされることも少なくなかった。この時期は選手の年俸が国際市場価格と比較しても異常なほど高騰し、後にJリーグの各クラブチームの経営を圧迫する一因となった。
開幕時には10チームでスタートしたが、Jリーグはこの頃からもうすでにリーグの拡大路線を行っていた。翌94年には当時の準会員制度(現在のJ リーグ準加盟制度)で準会員だったジュビロ磐田、ベルマーレ平塚が定められた参入条件を満たしてJリーグに参入したのを皮切りに現在でもJリーグへの新規参入がほぼ毎年の様に続いている。ただ、この様なJリーグの拡大路線について開幕当初は「チーム数が多過ぎて名前が覚えられない」とか「はたして何時まで続くのか?」といったように世間ではやや批判的な形で捉えられていた為、この拡大路線が世間で評価をされるようになるのはプロ野球再編問題が起こった2004年以降の事になる。
現在では批判的に見られることの多いJリーグバブルではあるが、この時期にサッカーの認知度が劇的に向上しており、日本サッカーの発展に果たした役割は大きい。代表クラスの大物外国人がJリーグでプレーしたことや、世界に名を知らしめる有名監督もJリーグで指揮を執ったことで、現在も続くパイプも多くはこの時期に築かれている。
この頃、スタジアム内ではサポーターによってチアホーンがよく鳴らされていたが、スタジアム周辺の近隣住民から「騒音に当たる」との苦情が相次いだので、その後しばらくしてJリーグがスタジアム内でのチアホーン使用の自粛を促した(リーグの規定で禁止されている訳ではない)。その為、今ではもうめっきり見かける事はなくなった。ただ、頬にチームカラーのペイントをして、小さいチームフラッグを振りながらチアホーンをひっきりなしにスタジアム内で鳴らすサポーター達は当時のJリーグを代表する景色でもあった。
[編集] Jリーグブームの沈静化とクラブ経営の危機
Jリーグは1996年に「百年構想」を発表する。「企業スポーツの枠内から脱し、地域に根ざした新しいスポーツのあり方を模索する」という理念を掲げ、積極的にJリーグクラブ数を拡大して、最終的には全国に100チームのJリーグクラブを作ることを目標とした。
この頃からブームの沈静化が始まる。観客動員数も急激に減少し、1994年に19,598人を記録した平均観客動員数も、1997年には10,131人と僅か3年で半分近くまで減少した。
さらに1998年には、横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併(事実上の横浜フリューゲルス消滅)が発表される。横浜フリューゲルスという、当時のJリーグクラブの中では比較的人気があり、成績も上位に定着しつつあったクラブの消滅は、Jリーグの理念と日本社会のスポーツに対する考えとの乖離が生んだ悲劇といえる。横浜フリューゲルスの事実上の後継として横浜FCが発足したが、多くの横浜フリューゲルスサポーターやサッカーファンはこの事件に失望してスタジアムに戻って来なかった。
一時期、このような深刻な危機を迎えたJリーグではあったが、W杯フランス大会への日本代表の出場とW杯日韓大会の開催決定を契機として観客動員数は緩やかながらも復調の兆しが見え始める。
1999年にはJリーグ加盟を希望するアマチュアサッカークラブの増加に応えるべく2部制を導入し、J2リーグが新たに発足。地方を中心に多くのJリーグクラブが全国各地で誕生する事となった。
[編集] Jリーグの成長と地域密着の浸透
ブームが沈静化した97年頃から1試合平均1〜1.2万人程度で推移していた観客動員数は、日本開催のW杯を控えた2001年に急激に好転しその後も徐々に増加を始める。地元開催となったW杯日韓大会を翌年に控え、開催各地に続々と最新鋭のスタジアムが整備され、その地域に根ざすJリーグクラブに大きな恩恵をもたらした。とりわけ浦和レッドダイヤモンズはほぼ毎試合で満員に近い観衆を集め、リーグの人気を牽引する存在にまで成長した。
爆発的なブームを巻き起こした発足当初の人気に対し、2001年以降の人気回復は地域や地方都市のローカリズムに寄って立つ比重が非常に大きい。本拠地をフランチャイズ(独占的商業地)ではなく「ホームタウン」と呼ぶことに象徴されるとおり、地域住民に自分の街のプロサッカークラブという意識を強く抱かせるようになった。かつてはごく少数の企業等がJリーグクラブを保有したが、現在では大手スポンサーに加え、自治体や地域の市民たちでクラブを支える経営手法をとるJリーグクラブも多数生まれた。この「地域密着」の動きは日本のプロスポーツ界全体に広がることとなった。
W杯日韓大会の開催によるサッカーブームが加わり、Jリーグは発足当初ほどの爆発的な盛り上がりはないものの徐々にファンを増やすことに成功した。J2リーグもこの頃から軌道に乗り、当初は赤字続きだった各Jリーグクラブの採算面も大幅に改善している。また、Jリーグ準加盟制度[2]や「Jリーグ加盟を標榜するクラブに対する優遇処置」(飛び級制度)などで、Jリーグ加盟の敷居が以前よりも低くなった。その影響で全国各地にJリーグ参入(もしくはその下のJFL)を目標とするアマチュアサッカークラブが多数誕生している。
[編集] Jリーグの課題
[編集] J1昇格基準
2008年現在、J2リーグの上位1位・2位が自動昇格、3位が入れ替え戦参加と昇格基準があるが、これからJ2リーグに加盟するクラブチーム数が増える中で毎年昇格するJ2リーグクラブが比較的に少なくなっている。そのため、シーズン中盤から昇格争いから落ちるJ2リーグクラブが増え、またJ2からの降格がないために中位・下位のJリーグクラブやそのサポーターのモチベーションが低くなってしまう事態が起きている。この問題は、現在行われている入れ替え戦を拡大し、J2の4位や5位などにもプレーオフ権を授けることで解決できる。また、J2リーグでは新規参入のJリーグクラブが年々増える中でJ2 クラブ同士の競技レベルの格差が著しく開いており、将来的にJ2リーグの下に属する新たなプロリーグ、つまり「J3リーグ」といった下部リーグを新たに設けなければならない状況に近づいている。
[編集] 地域格差
Jリーグは2008年シーズンからJ1、J2リーグ合わせて33チームのJリーグクラブが加盟している。Jリーグの将来構想委員会報告書[3]によると、「2010年までに36チームのJリーグクラブ(J2リーグを18チーム制)に拡張させることが望ましい」としている。Jリーグ全体の競技レベルを維持するため、当初予定されていたJFLとの入れ替えは当面行わず(これに関しては「欧州などと違って、プロとアマの境界線がはっきりしている日本ではなじまないのではないか?」や「せっかく厳しい参入条件をクリアしてJリーグに入会したのに、またアマチュアリーグに戻されるのは到底納得がいかない」といった反対意見もある。)、ゆっくりとJ2リーグの拡大を行っていく考えを示している。
現在、Jリーグクラブの存在しない新潟県以外の北陸地方や山陰地方には現実的にJ2リーグ入りを目指すJリーグ準会員が存在するものの、ほかのJリーグ空白地帯である東北地方の北部や沖縄県などにJリーグクラブが必要であるとの声も多い(これらの地域でもJリーグに将来参加を目指しているチームは存在している)。しかし、2007年にはJ1に在籍している18チームのJリーグクラブのうち、関東地方に10チームのJリーグクラブ(神奈川県横浜市と埼玉県さいたま市にそれぞれ2チームのJリーグクラブが存在)と地域格差が出てきている。ただし、こういった課題は地元住民や自治体のJリーグクラブ誘致熱やスポンサーの受け皿となる地元経済界の経済力も密接に関わってくる為、格差是正はなかなか困難な問題である。
[編集] メディア露出
地上波において、Jリーグの試合中継は開幕当初こそはJリーグブームの後押しもあって、主にリーグ戦を中心にNHKや民放各局の地上波ゴールデンタイム枠などで盛んに行われていたが、Jリーグブームが沈静化してからは民放各局が地上波ゴールデンタイム枠から撤退し、現在ではNHKがリーグ戦の開幕戦と終盤の数試合、民放では日本テレビがJリーグスーパーカップ、テレビ朝日がJリーグオールスターサッカーを生中継するのみで、リーグ戦はかろうじて地域の民放ローカルネットで放送されている(TBSも放映権があるが、現在のところ全国地上波放送は皆無)。ただ、衛星放送では現在でもリーグ戦を主にNHKのBS1とTBS系列のBSデジタル放送のBS-iで毎週1試合ずつ生中継しており、テレビ朝日系列のBSデジタル放送のBS朝日ではJリーグオールスターサッカーを録画中継で試合が行われた当日の夜に放送している。(詳しくはサッカー放映権を参照。)
[編集] クラブ経営の安定化
93年に「親会社に依存した企業スポーツからの脱却」を掲げて開幕したJリーグであったが、当時の各クラブの経営実態は親会社から経営の赤字分を補填してもらう既存の企業スポーツと何ら変わりがなかった為、選手の年俸や移籍金、新人選手の契約金などが国際市場価格と比較しても異常と思える程に上昇してクラブ経営の大部分を占める様までになった。しかし、ブームが沈静化するとそんな放漫経営のツケとバブル経済の崩壊による企業の支援打ち切りの影響で次々と経営破綻の危機に陥るクラブが続出し、とうとう横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併騒動まで起こってしまった。
これを機にJリーグでは99年3月に「チェアマン指針」を発表し、現在では全Jリーグクラブ(Jリーグ準会員も含む)を対象にJリーグ経営諮問委員会による経営状態の監査や是正指導、更にはJリーグや各クラブの年度別経営収支[4]などの一般公開といった経営の透明化やJリーグや各クラブ単位での地域に根ざした活動が積極的に行われている。ただ、Jリーグクラブによっては依然として単独での経営が難しく、今だに親会社や地元自治体による補填や援助に頼るクラブも少なくない。
しかし、中には浦和レッドダイヤモンズやアルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府といった様な日本サッカー界のみならず、日本のスポーツ界にも一定の影響を与える程の成功例も出て来ている。また、近年ではJリーグ経営諮問委員会の積極的な是正指導、W杯日韓大会の開催によるサッカーブーム、世界的なグローカル化の流れによる人々の意識、Jリーグや各クラブ単位での地域に根ざした活動などが影響して、徐々にであるが多くのJリーグクラブでも経営状態は改善傾向にある。
[編集] 観客動員数の増加
現在、Jリーグが最も力を上げて取り組んでいるのが観客動員数の増加(Jリーグ「イレブンミリオン」プロジェクト)[5]である。これは1993年のJリーグ開幕当初からの約2年間こそは「Jリーグブーム」と呼ばれる社会的騒動で一躍世間的な関心を寄せたものの、その後のブーム沈静化で観客動員数を劇的に減らしたことが、90年代後半に相次いだJリーグクラブの経営危機を招いた一因になっているからだ。2000年代に入ってからは「Jリーグブーム」当時とまでは行かなくても、W杯日韓大会の開催によるサッカーブームや世界的なグローカル化の流れによる人々の意識などもあって、Jリーグ全体の観客動員数は順調に伸びている。
しかし、Jリーグが2004年から毎年行っているJリーグスタジアム観戦者調査の報告書(2007年度版参考)[6]によると、主に現在の観客動員数を年齢分布の平均で表すとそのほとんどが30歳代から40歳代の世代で、逆に10歳代から20歳代の世代や50歳代以上の世代は30歳代から40歳代の世代に比べ極端に少なく、Jリーグ開幕当時に観客の中心だった10歳代から20歳代の世代がそのまま30歳代から40歳代の世代へと推移している事が分かる。
ただ、サッカー競技が盛んな地域にホームタウンを置いているクラブ(清水エスパルス、ジュビロ磐田など)や日頃から地域で話題になっているクラブ(コンサドーレ札幌、アルビレックス新潟、大分トリニータなど)、積極的に地域貢献しているクラブ(湘南ベルマーレなど)辺りでは50歳代以上の世代がリーグの平均よりも多い。また、10歳代から20歳代の世代においても家族や友人と同伴する形で試合観戦をする機会が多く、これは現在の観客の年齢分布をほとんど占めている30歳代から40歳代の世代を親として迎えている為であると考えられる。
[編集] 競技施設の改善
サッカー競技が盛んに行われている欧州や南米などのプロサッカーリーグの試合は、街中や交通アクセスが整備されている郊外に建設された球技専用スタジアムで行われているのが一般的である。そんな国々のスタジアムは街や地域のシンボルであり、街とスタジアムはワンセットで存在している。また、それらの国々のスタジアムには教会やお城と共通する一種の役割があり、すべて個性的な顔をしている為にふたつと似たものは存在しない。
スタジアムの収容人数も各国によって若干違う。例えば、スペインやイタリアのスタジアムは一度に平均4〜7万人をスタジアムに収容する事ができるが、その中でもカンプ・ノウに至っては一度に9万8600人も収容することが出来る。逆に、イギリスのスタジアムは平均2〜4万人までしか収容できず、イギリスにあるスタジアムの中でも大型なスタジアムの部類に属するオールド・トラッフォードでも、一度に6万7000人までしか入らない。ただ、近年では6〜7万人規模ではあるが以前のものと比べても、イギリスで新築されるスタジアムは次第にエミレーツ・スタジアムの様な大型のものになって来ている。
近年、欧州のスタジアム建築の流れは、アムステルダム・アレナがオープンした1996年を機に大きく変わった。以降、スタジアムにはショピングセンターといった、プラスアルファの要素をふんだんに取り入れた多機能型が続々と誕生している。スタジアムの寿命はおよそ50年。スタジアム作りの発想は近未来社会に即していなければならず、単なる体育の専門施設では時代に適合しないのだ。その為、欧州のスタジアムでは2000年代の初頭から各地でスタジアムの大型化が進んでいる。
ところで、日本のスタジアムは欧州や南米などに比べると少々見劣りする。日本国内では1960年に日本で初めてとなる球技専用スタジアム(サッカー専用球技場)として、さいたま市大宮公園サッカー場が完成したが、そもそも日本には野球場以外の球技専用スタジアムがほとんどなく、ドーム球場や国内にある数少ない球技専用スタジアムをホームスタジアムにしている一部のJリーグクラブを除くほとんどのJリーグクラブは主に国体などの本来は別の目的で建設され、陸上競技場の機能も備えた屋外多目的競技場をほぼそのままの形でホームスタジアムとして指定して主催試合を行っているのが現状である。また、W杯日韓大会の開催を機に多くのスタジアムが新設されたが、その多くは交通アクセスが大変不便な条件下にある屋外多目的競技場である為に、Jリーグクラブが利用している現在のホームスタジアムでは新設や既存に関係なく、試合観戦者が交通アクセスや試合観戦において何らかの不便を強いられる事が多い。
しかしながら、日本では公共のスポーツ施設を整備するのは一部を除いて一般的には地方自治体である為、サッカー文化自体がまだまだ根付いていない日本では実際に施設を使用するJリーグクラブやサポーターなどの意見がスポーツ施設の建設に反映される事はまずない。それどころか、陸上競技団体からの強い圧力や陸上トラック付設であると国から補助金が交付される為に、球技専用スタジアムの整備構想が持ち上がる事はあっても実際には屋外多目的競技場として建設される事も多い。また、その屋外多目的競技場はといえば地方自治体が建設業者との癒着における「ハコモノ行政」の一環として屋外多目的競技場を整備している為、きちんとした運営計画が作成されずに整備後の経営において収支が赤字に陥ってしまう事が多く、最終的にはその施設を運営している地方自治体が赤字分を補助金という形で穴埋めしなければならない状況である。
[編集] 行政の無理解
サッカークラブそのものに対する行政側の無理解も依然として深刻である。JリーグクラブやJFL以下のアマチュアサッカークラブがホームスタジアムとして使用するスポーツ施設に対して、当該スポーツ施設における実際の利用状況や立地条件、更にはスポーツ施設に付帯している設備の使用頻度や使い勝手などに関係なく、それらのスポーツ施設を所有・管理する地方自治体側が不当に高額な使用料を設定してクラブ側に過大請求して来る事も少なくない。こういった問題では、特に小規模な経営体制のクラブでは試合の入場料収入や各種広告スポンサー料などの限られた中で得た数少ない収入の大部分がホームスタジアムの高額な使用料で消えてしまい、選手や監督スタッフなどの賃金を一向に上げられないどころか、逆にクラブチームの経営そのものに大きな負担をかけてしまっているという問題が起きている。また、「管理している芝生が荒れる」といった様な理由でクラブ側に対してスポーツ施設の使用に大幅な制限を課す地方自治体も多く、スポーツ施設の使用が極端に制限されてしまうクラブチームは他の練習場所を新たに探さなければならなくなったり、満足の行くチームの練習時間や内容を確保出来ずにいる。[7]
[編集] ホームタウンとの関係
Jリーグに入会するJFLのアマチュアサッカークラブによっては今まで活動してきたホームタウン内にJリーグの規格に合ったスタジアムが無い為に、 Jリーグの規格に合ったスタジアムの地域までを含んだホームタウンの広域化を迫られるクラブもある。その為、クラブ発足当初はそれまで活動してきたホームタウン内のスタジアムで試合を開催出来ても、Jリーグ入会を果たすと試合が開催出来ないという事象が起こり、その事が原因でクラブチーム発足当初からのホームタウンとJリーグ入会を機に両者の間で関係が疎遠になってしまう事もある。
[編集] ユニフォームスポンサーの規制
現在、遊技業やアルコールを販売する企業などがユニフォームスポンサー(特に胸広告)になることを原則認めていない(自粛を求めている)。メディアにその企業名が載ることで青少年へ悪影響を及ぼすなどのことが大きな理由であるとされている。しかし、かつてプロ野球のパ・リーグに所属していた大阪近鉄バファローズが消費者金融のアコムとのヘルメットスポンサー契約を結ぼうとしたが、同様の理由からNPBの許可が下りず、数年後にオリックス・ブルーウェーブと合併して消滅した事例もある為、Jリーグでも資金力の乏しいクラブにとっては深刻なクラブ存続問題にまで発展しかねない可能性もある。以下はその例である。
[編集] 大分トリニータの例
大分トリニータは、マルハンのロゴをユニフォームの胸に掲示することが却下されている。マルハンは2005〜2006年は特例として許可されたが、2007年より胸にマルハンのロゴを入れられないことになった。しかし、マルハンは「スペシャルスポンサー」として胸スポンサーとほぼ同額のスポンサー料を支払っている。
[編集] ロアッソ熊本の例
2008年からJリーグに加盟したロアッソ熊本は、Jリーグに加盟する際にJFL時代から胸スポンサーであった地元熊本県の酒造メーカー高橋酒造の『白岳』が同様の理由で認められず、胸スポンサーが地元菓子メーカーの「武者がえし」へと変更になった。
[編集] 例外
かつて、サントリーはヴェルディ川崎(現;東京ヴェルディ)の胸スポンサーとなっていた時期がある。当時は、まだソフトドリンク部門をサントリーフーズとして分社化する前でありながら、ソフトドリンクではなくビール(『モルツ』)のロゴを掲げていた。この理由としては、サントリーがJリーグのオフィシャルスポンサー(当時)だったためという認められたも考えられる。ただ、海外のクラブとの対戦時には企業のロゴとなる場合もあった。その後、サントリーは背番号の上に移り、代わりにコナミが胸スポンサーとなった。また、Jリーグのオフィシャルスポンサーとして、パチンコ機器を製造するHEIWA(2007年撤退)や消費者金融のGE Money(2007年撤退)がスポンサー企業になっていた時期があった。
wikipediaから引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0
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