サザンオールスターズ

サザンオールスターズをwikipediaで調べてみました
即納!サザンオールスターズ CD【BOHBO NO.5】初回盤(7/20発売)
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ロックバンドの夢伝説サザンオールスターズ
ロックバンドの夢伝説サザンオールスターズ
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サザンオールスターズ(Southern All Stars, 台湾訳:南方之星,中国訳:南天群星)は、日本の音楽バンド。略称は「サザン」。「SAS」と略記されることもある。リーダーは桑田佳祐[1]。所属事務所はアミューズ、レコード会社はビクターエンタテインメント(ビクターTAISHITAレーベル)。これまでのアルバム、シングルの情報についてはサザンオールスターズのディスコグラフィを参照。

来歴

[編集] 1970年代

* 1975年頃
o 青山学院大学のサークル“Better Days”内で元となるバンドが結成。
* 1977年
o アマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest'77」に出場し、桑田がベストボーカル賞を獲得。なおこの時の様子は他の出場者の曲と共にLPで発売され、その内サザンのナンバーは『女呼んでブギ』が収録された。
* 1978年
o 6月25日、ビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)からシングル『勝手にシンドバッド』でデビュー。ファンはこのデビュー日を記念して、毎年6月25日を「サザンの日」と呼んでいる。ちなみに、この日はメンバー全員仕事が無かった。
o 7月31日、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初登場。メンバー全員ジョギングパンツで登場し、視聴者に衝撃を与える。
o 8月25日、1stアルバム『熱い胸さわぎ』発売。
o 8月31日、TBS系『ザ・ベストテン』にスポットライトでライブハウスより中継で初登場。
o 11月25日、2ndシングル『気分しだいで責めないで』発売。
o 12月10日、初のライブツアー『胸さわぎ』スタート。
* 1979年
o 3月20日、ライブツアー『春五十番コンサート』スタート。全50公演にも及ぶ長丁場であり、アルバムのレコーディングもライブのリハーサルを掛け持ちしながらの過密なスケジュールのなか行われた。
o 3月25日、3rdシングル『いとしのエリー』発売。このシングルが大ヒットし、本格派のロックバンドという評価を受け始める。
o 4月5日、2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』発売。これ以降すべてのオリジナルアルバムがオリコンチャートで初登場TOP10入りとなっている。
o 7月25日、4thシングル『思い過ごしも恋のうち』発売。
o 9月22日、ライブツアー『Further on up the road』スタート。
o 10月25日、5thシングル『C調言葉に御用心』発売。
o 11月25日、企画アルバム『ベスト・オブ・サザンオールスターズ』発売。
o 『いとしのエリー』がコーセー歌謡ベストテン年間チャートで1位を獲得。
o 『10ナンバーズ・からっと』で第21回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞受賞。
o 12月31日、『いとしのエリー』でNHK紅白歌合戦に初出場。

[編集] 1980年代

* 1980年
o 楽曲製作に重きを置くためテレビ出演を控えるようになる。その流れで「FIVE ROCK SHOW」と銘打ち、シングルを5ヶ月連続毎月リリースする計画を発表した。
o 2月21日、6thシングル『涙のアベニュー』発売。
o 3月21日、7thシングル『恋するマンスリー・デイ』、3rdアルバム『タイニイ・バブルス』を発売。『タイニイ・バブルス』はオリコンチャートでサザンとしてはシングル・アルバム通して初のオリコンチャート1位を獲得する。更に、この作品から全てのオリジナルアルバムがオリコンチャート1位を記録している。
o 4月21日、本来この日にシングルがリリースされる予定だったが、レコーディング具合の関係などから延期される。
o 5月21日、8thシングル『いなせなロコモーション』発売。
o 6月21日、9thシングル『ジャズマン (JAZZ MAN)』発売。
o 7月5日、企画アルバム『Kick Off!』発売。
o 7月19日、ライブツアー『サザンオールスターズがやってくる ニャー!ニャー!ニャー!』スタート。タイトルは言わずと知れたビートルズの『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』をもじったもの。
o 7月21日、10thシングル『わすれじのレイド・バック』発売。
o 11月21日、11thシングル『シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー』発売。
o 12月5日、企画アルバム『アーリー・サザンオールスターズ』発売。
o 12月10日、ライブツアー『ゆく年・くる年』スタート。初の日本武道館公演を行う。
* 1981年
o 4月、原のソロシングル『I Love Youはひとりごと』が「歌詞が卑猥である」として放送禁止になり、横浜の日本ビクター本社ビル屋上で抗議のゲリラライブを行う。ビートルズのゲット・バック・セッションを意識した行動である。
o 6月21日、12thシングル『Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)』発売。
o 7月4日、ライブツアー『そちらにおうかがいしてもよろしいですか?』スタート。このツアーで桑田の故郷・茅ヶ崎にある茅ヶ崎市民会館で初の地元公演を行う。
o 7月21日、4thアルバム『ステレオ太陽族』発売。
o 9月21日、13thシングル『栞のテーマ』発売。
o 映画『モーニングムーンは粗雑に』の音楽監督をサザンオールスターズとして務め、『Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)』や『朝方ムーンライト』、『栞のテーマ』などが起用される。
o 10月25日、企画アルバム『SOUTHERN ALL STARS BEST』発売。後に『BEST ONE '82』としてジャケットのみ若干変更し発売されたが、内容は同一。
o 12月31日、『ステレオ太陽族』で第23回日本レコード大賞 '81 アルバムベスト10受賞。
* 1982年
o 1月9日、ライブツアー『愛で金魚が救えるか? サザンオールスターズ Paa Pooツアー '82』スタート。
o 1月21日、14thシングル『チャコの海岸物語』発売。このシングルが大ヒットし、長らく続いたセールス低迷状態から脱出。
o 1月26日、同月9日から行われていたツアーの最終日、日本武道館公演で桑田と原が結婚を発表する。
o 5月1日、企画アルバム『Shout!』発売。
o 5月21日、15thシングル『匂艶 THE NIGHT CLUB』発売。
o 7月21日、5thアルバム『NUDE MAN』発売。ジャケットにおさめられたお尻の写真が、桑田のものではないかと話題になる。
o 9月8日、ライブビデオ『武道館コンサート』発売。同年1月26日に行われた日本武道館でのコンサートを収録。
o 9月21日、ライブツアー『青年サザンのふらちな社会学 ツアー THE NUDE MAN』スタート。アルバムタイトルを冠したタイトル。初めて年を跨いでのツアーで、現在でも最多の全57公演の長丁場であった。
o 10月2日、16thシングル『Ya Ya (あの時代を忘れない)』発売。
o 12月5日、初のバラードベスト『バラッド '77〜‎'82』発売。当初カセット盤のみのリリースだったが、このような企画盤としては異例のセールスと反響から後にCD化された。オリコンチャートでは登場週数100週以上に及ぶロングセラーになっている。
o 『チャコの海岸物語』で第16回全日本有線放送大賞最多リクエスト曲賞受賞。グループとしても最多リクエスト歌手賞を受賞する。
o 『NUDE MAN』で第24回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞、'82 アルバムベスト10を受賞。
o 12月31日、『チャコの海岸物語』で2度目の紅白出場。その中での桑田のパフォーマンスが物議を醸す。
* 1983年
o 1月26日、ビデオ『Southern All Stars THE BEST』『匂艶 THE NIGHT CLUB』発売。
o 3月5日、17thシングル『ボディ・スペシャルII』発売。
o 自主レーベル「TAISHITAレーベル」設立(原による命名)。
o 『いとしのエリー』が人気ドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)の主題歌に起用され人気再燃。またその他の曲も同番組の挿入歌に使用された。
o 7月5日、18thシングル『EMANON』、6thアルバム『綺麗』発売。
o 7月24日、「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83」に出演し大瀧詠一、RATS&STARと競演する。最後は「蛍の光」、「上を向いて歩こう」をセッションした。
o 10月24日、ライブツアー『SASたいした発表会 私は騙された!!ツアー'83』スタート。年を跨いでの公演。
o 11月5日、19thシングル『東京シャッフル』発売。
o 12月6日、企画アルバム『原由子 with サザンオールスターズ』発売。
o 『バラッド '77〜'82』が1983年度オリコン年間CTセールスチャート第1位を獲得。
o 『綺麗』で第26回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞、'83 アルバムベスト10を受賞。
o 12月31日、『東京シャッフル』で3度目の紅白出場。サザンとして最後の出場となった。
* 1984年
o 6月25日、20thシングル『ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)』発売。
o 7月7日、7thアルバム『人気者で行こう』発売。この作品以降、発売した全てのアルバムでオリコンチャート初登場1位を記録。
o 日本テレビ系にて『サザンの勝手にナイト あ!う○こついてる』が全5回に渡り放送。すでに国民的バンドとしての地位を確立していたサザンと、三宅裕司、小倉久寛らスーパー・エキセントリック・シアター(SET)がおりなすコント番組。デビュー当時のような不本意で強制的な形ではなく、プロのアーティストとして音楽だけでなく完璧に作り込んだ笑いをも見せる余裕をアピールした。スタジオや舞台でのコント、三宅の楽器教室、『人気者で行こう』収録曲のスタジオライブや洋楽カバーの舞台ライブなど、様々なコーナーが人気を呼んだ。また、番組内で三宅は松田と共にツインドラムを披露するなど意外な一面を見せた。
o 7月20日、ライブツアー『熱帯絶命!ツアー夏「出席とります」』スタート。サザン初の野外スタジアムツアー。オープニング・アクト(前座)として、現在はサポートメンバーとしても知られる斎藤誠と、斎藤のサポートを務めた河内淳一・片山敦夫・今野多久郎・角田俊介らの在籍するバンド、STRIX!が出演。河内・片山・角田はこの時期に桑田と面識が出来たという。
o 9月、シングル『Tarako』のレコーディング・ビデオ撮影を兼ねて、約1ヶ月間ロサンゼルスへ渡る。
o 10月21日、21stシングル『Tarako』発売。
o 10月25日、ライブツアー『大衆音楽取締法違反 "やっぱりアイツはクロだった!" 実刑判決2月まで』スタート。タイトル通り翌年2月までのロングツアー。
o 12月21日、ビデオ『サ吉のみやげ話』発売。“サ吉”とはサザン、みやげ話とはロサンゼルスで行われたレコーディング・ビデオ撮影の事を指す。
o 『人気者で行こう』で第26回日本レコード大賞 優秀アルバム賞受賞。
o 12月31日、初の年越しカウントダウンライブ『縁起者で行こう』、新宿コマ劇場にて開催。もともと紅白のオファーがあったものを急遽キャンセルされたために行われたものとされ、現在紅白出場を実質拒否し続ける決定的な原因であると言われている。ライブにはSET、嘉門達夫、斎藤誠らも出演。
* 1985年
o 5月26日、22ndシングル『Bye Bye My Love (U are the one)』発売。
o 8月21日、23rdシングル『メロディ (Melody)』発売。
o 9月14日、8thアルバム『KAMAKURA』発売。
o 9月21日、ライブツアー『KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ』スタート。アルバム発売から1週間後、『KAMAKURA』を引っさげてのツアー。
o 『KAMAKURA』で第27回日本レコード大賞 優秀アルバム賞受賞。
* 1986年
o 原の産休のため一時活動休止。その間は各個人ソロ活動を行う。
o 桑田はKUWATA BANDとして1年限定の活動を開始。サザンでは達成できていなかったシングルでのオリコンチャート1位を樹立するなどの活躍を見せた。
* 1987年
o 6月21日、4年半ぶりのバラッド第2弾、『バラッド2 '83〜‎'86』発売。内容の偏りなどからセールスは思わしくなかったが、こちらもオリコンチャートでは1位になっている。
* 1988年
o 6月25日、活動再開。24thシングル『みんなのうた』発売。
o 7月26日、サザンとして3年ぶりの、デビュー10周年を記念する野外ライブツアー『-真夏の夜の夢- 1988 大復活祭』スタート。
* 1989年
o 4月12日、25thシングル『女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)』発売。同曲と「Oh! クラウディア」「みんなのうた」のビデオクリップを収録したビデオも同時発売。
o 6月7日、26thシングル『さよならベイビー』発売。シングル初のオリコンチャート1位を獲得する。
o 7月21日、初のベストアルバム『すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61SONGS』を限定発売。西瓜を模した缶に4枚のCDと西瓜模様のトランクスとパンティーが入っている。なお、トランクスとパンティーは共にサイズや素材等が実用的でない。
o 11月21日、27thシングル『フリフリ'65』発売。
o 12月31日、『縁起者で行こう』以来のカウントダウンライブ『いっちゃえ'89 サザンde'90』を横浜アリーナで開催。サザンの曲も演奏したが、エルヴィス・プレスリーやビートルズ等の洋楽のカバーが大半を占めた、試行錯誤が垣間見えるライブだった。以降も同会場で、サザン・ソロ共にほぼ毎年ライブを開催し続け、“夏のサザン”だけでなく“年越しのサザン”というイメージをも定着させカウントダウンライブの先駆者となった。サザン以降、様々なミュージシャンがカウントダウンライブを行っている。

[編集] 1990年代

* 1990年
o 1月13日、9thアルバム『Southern All Stars』発売。初回限定盤と通常版を合算して、アルバムでは初のミリオン突破を超える売り上げを記録。
o 第4回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞。
o 2月28日、5年振りの全国アリーナ(屋内)ツアー『夢で逢いまSHOW』スタート。
o 7月25日、28thシングル『真夏の果実』発売。
o 9月1日に、Southern All Stars & All Stars名義でサウンドトラック『稲村ジェーン』発売。サントラアルバムとしては異例のミリオンセラーの売り上げを記録。
o 9月7日、桑田の監督作品『稲村ジェーン』公開。シングルカットされなかったものの、『希望の轍』が市民権を得る。
o 12月31日、年越しライブ『歌うサザンに福来たる』開催。TBS系にて全国ネットで生放送。
o 『真夏の果実』で第32回日本レコード大賞 ポップス・ロック部門 ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。『Southern All Stars』でポップス・ロック部門 優秀アルバム賞受賞。
* 1991年
o 第5回日本ゴールドディスク大賞・ベスト5アーティスト賞受賞。更にサザンオールスターズ&オールスターズ名義で発売したサウンドトラック『稲村ジェーン』でロック・フォーク部門(男性)アルバム賞受賞。
o 7月10日、29thシングル『ネオ・ブラボー!!』発売。
o 8月14日、東名阪の野外スタジアムツアー『THE音楽祭 1991』スタート。ライブは新旧の曲をこれまで以上に多彩なアレンジで聴かせ、全35曲に及ぶ長丁場であった。この時期から関口が体調不良による休養でサザンの活動から一時離れる。
o 12月29日 - 31日、年越しライブ『闘魂! ブラディ・ファイト年越しライブ』開催。年越しライブと題されたものとしてはこの時が初めてで、更にこの年から大晦日だけでなく数日間の公演が開催されている。ロックとプロレスとの融合がテーマで、リングアナの紹介によるプロレスラー風のメンバー登場、辻よしなり・山本小鉄による実況解説、馳浩・蝶野正洋ら新日本プロレスによるライブ乱入など正にプロレスを思わせる演出であった。尚、このライブはTBS系での放送にもかかわらず、当時テレビ朝日アナウンサーであった辻が抜擢され、同局の「ワールド・プロレスリング」を思わせる演出であった事に辻は、TBSの懐の深さと、出演の為に声をかけてくれた桑田に感謝したと述べている。また中盤にはサザンとビートルズの合体メドレーコーナーも設けられた。
o 12月31日、NHK紅白歌合戦に原がソロ出場。出場が決まった時点ではシングル曲『じんじん』を唄うと発表されていたが、シングル曲以上に知名度が高い『花咲く旅路』が選曲され、原は着物姿でグランドピアノを弾きながら唄った。同日は横浜アリーナでのサザンの年越しライブもあった為、原は短時間での会場間の大移動であった。
* 1992年
o 7月18日、30thシングル『シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度』、31stシングル『涙のキッス』を同時発売。オリコン史上初の初登場で1,2位を独占する。同時に『涙のキッス』がシングルで初のミリオン突破。
o 9月12・13日、コンサート『南天群星 北京で会いましょう』開催。2日間に渡り中国・北京で公演を行うが、初日公演では中盤で桑田が体調不良を訴え、一時中断で会場は騒然となったが、桑田が下がっている間、大森と小倉博和による即興ギターバトルや、原が予定には無かった、ぶっつけ本番の即興ピアノ弾き語りで『花咲く旅路』を唄うなどして乗り切った。2日目は体調万全でライブも無事成功。後日談では、松田・野沢も北京入りした時点で一時体調を大きく崩したという。関口はライブには不参加だったものの、北京に同行し客席からライブを観覧した。
o 9月26日、10thアルバム『世に万葉の花が咲くなり』発売。
o 10月14日、全国アリーナツアー『歌う日本シリーズ 1992〜1993』スタート。ツアー初日、アンコールの『夕方HOLD ON ME』で、暫く休養中だった関口和之が登場しタンバリンを叩きながら共に唄い、不仲説や脱退説などの噂を吹き飛ばした。
o 12月31日、『涙のキッス』で第34回日本レコード大賞 ポップス・ロック部門 ゴールド・ディスク賞を受賞。『世に万葉の花が咲くなり』でポップス・ロック部門 アルバム大賞受賞。
o TBS系『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」』にて、年越しのカウントダウンを挟み、デビューからの歴史を振り返る『ロック怪獣サザン伝説』が放送。
* 1993年
o 第7回日本ゴールドディスク大賞・ベスト5アーティスト賞受賞。更に『涙のキッス』でベスト5・シングル賞を受賞。
o 3月27日、ライブビデオ『歌う日本シリーズ 1992〜1993 LIVE at YOKOHAMA ARENA 29th Dec.1992』発売。1982年に発売された『武道館コンサート」は一部抜粋のみの編集だった為、サザンとしては初めてほぼ全編を収録したライブビデオとなった。
o 7月21日、32ndシングル『エロティカ・セブン』、33rdシングル『素敵なバーディー (NO NO BIRDY)』を同時発売。『エロティカ・セブン』がフジテレビ系ドラマ『悪魔のKISS』の主題歌に起用され、当時の自己シングル売り上げトップを記録する。
o 9月8日、Z団名義でサザンの曲をリミックスしたアルバム(オリコンなどではシングル扱い)『江ノ島 〜‎Southern All Stars Golden Hits Medley』を発売。
o 11月20日、34thシングル『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』発売。
o 12月11日、年末ライブ『しじみのお味噌汁』スタート。会場は横浜アリーナのみで、31日のカウントダウンまで全12公演の予定であったが、中盤の4公演が松田の体調不良の為、年明けの1月2日〜5日に順延となった。中盤では原のメドレーコーナーもあり、従来のサザンのライブでは原は1曲だけボーカル曲を歌っていたが、このライブでは5曲披露。特にラストのソロ曲『じんじん』ではステージフロントに踊り出てハンドマイクで唄った。
* 1994年
o Z団名義で発売した『江ノ島 〜Southern All Stars Golden Hits Medley』で第8回日本ゴールドディスク大賞・アルバム賞/企画部門を受賞。
o 2度目の活動休止期間に入り、桑田のみがソロ活動を行う。
o 12月のAAAにサザンとして出演。休養中だった関口も登場し、久々に6人揃った姿をファンに見せた。
* 1995年
o 5月22日、35thシングル『マンピーのG★SPOT』発売と同時に本格的に活動再開。バンドから長期離脱していた関口が正式に復帰する。
o 6月24日、ベストアルバム『HAPPY!』発売。完全予約限定生産の作品で、70万セットが即日完売した。
o 7月17日、36thシングル『あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜』発売。3作目のミリオンシングルとなる。
o 8月5・6日、サザン復活を記念する野外イベント『スーパーライブ in 横浜 ホタル・カリフォルニア』横浜みなとみらいにて開催。 企画の段階では富士山の麓で行う案もあったという。タイトルはイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』を捩ったもの。このライブにおける1公演での観客動員数8万人は、現在でもサザンのライブ1公演最高動員数記録である。ゲストとして西城秀樹や鬼太鼓座が登場。
o 12月2日、ライブビデオ『ホタル・カリフォルニア (HOTARU CALIFORNIA)』発売。
* 1996年
o 5月20日、37thシングル『愛の言霊 〜‎Spiritual Message』発売。4作目のミリオンシングルとなる。
o 6月25日、38thシングル『太陽は罪な奴』発売。
o 7月20日、11thアルバム『Young Love』発売。約250万枚を売上げ、オリジナルアルバムでは最高の売上を記録。
o 8月4日、野外ライブツアー『ザ・ガールズ万座ビーチ』スタート。タイトルはザ・ビーチボーイズの『ガールズ・オン・ザ・ビーチ』を捩ったもの。9月22日の横浜スタジアム公演が台風のため延期となり、10月12日に順延となった。また、1979年のツアー『春五十番コンサート』以来17年ぶりとなる沖縄での公演も行われ話題となった。
o 12月28日 - 31日、年越しライブ『牛』開催。定番曲が少ないコアな選曲でファンを驚かせた。また、幅広い活動で充実に至った1年間を振り返り、ファンに向けて感謝のメッセージを綴ったア・カペラ曲『平和の牛歌』を唄う。
* 1997年
o 3月5日、ビデオ『平和の琉歌 〜Stadium Tour 1996 "ザ・ガールズ万座ビーチ" in 沖縄〜』発売。『平和の琉歌』のPV、ライブツアーのドキュメント、ボーナストラックとして前年末の年越しライブで唄われた『平和の牛歌』が収録された。
o 8月21日、39thシングル『01MESSENGER 〜‎電子狂の詩〜』発売。
o CS特番『01 MESSEAGE』放送。のちに『さくら』に収録される新曲の初披露やインタビュー、ビクターのビル屋上でのライブなどがオンエアされた。インターネットによる同時放映も試みられ、当時のアクセス記録数を更新。
o 11月6日、40thシングル『BLUE HEAVEN』発売。
o 12月27日 - 31日、年越しライブ『おっぱいなんてプー』開催。この年から単独の年越しライブ公演は12月27日・28日・30日・31日の全4日公演が定着した。前年以上に大変マニアックな選曲で、完全にコアなファン向けの内容であった。また、アンコールで新曲『LOVE AFFAIR 〜‎秘密のデート〜』が初披露されPV撮影も同時に行われた。
* 1998年
o 2月11日、41stシングル『LOVE AFFAIR 〜‎秘密のデート〜』発売。
o 6月6日、日清パワーステーションにてファイナル・セッションに参加。当初はメンバーが個別参加としか伝えられてなかったのと、収容数が少なかったため、非常にレアなイベントとなった。
o 6月25日、デビュー20周年を記念してベストアルバム『海のYeah!!』発売。
o 7月29日、42ndシングル『PARADISE』発売。
o 7月31日、TBS系『金曜テレビの星!』内にて、『サザン20周年緊急特番 バカさわぎの腰つき』放送。岸谷五朗・寺脇康文を司会に20年間を振り返る。熱狂的サザンファンを公言する爆笑問題も登場。さらには往年の『ザ・ベストテン』もこの日限りの復活。黒柳徹子が桑田らとの再会を喜んだ。
o 8月8・9日、20周年記念野外ライブ『スーパーライブ in 渚園 モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜』、静岡県・浜名湖畔「渚園」にて開催。爆笑問題もゲスト出演した。
o 9月23日、JFL発足5周年を記念して、「サザンを通じて人と音楽の素晴らしい関係を表現したい」というテーマで企画、制作された特別ラジオ番組「JFL 5TH ANNIVERSARY SPECIAL 三菱電機モバイル BLOW IN THE SOUTHERN WIND」が放送された。ナビゲーターは小林克也が務め、ゲストとしてメンバー全員が出演、ミニライブも披露した。
o 10月21日、12thアルバム『さくら』発売。
o 12月12日、ライブビデオ『スーパーライブ in 渚園』発売。
* 1999年
o 『海のYeah!!』と『さくら』の2作品で、第13回日本ゴールドディスク大賞・ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
o 3月24日、『Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)〜素敵な春の逢瀬〜』スタート。初の4大ドーム公演を含めた大規模なツアーとなる。タイトルはサブタイトルの『素敵(すてき)な春(はる)の逢瀬(おうせ)』を逆から読んだもの。
o 3月25日、43rdシングル『イエローマン 〜‎星の王子様〜‎』発売。
o 6月26日、茅ヶ崎海水浴場がサザンビーチちがさきと改名される。
o 9月26・27日、ファンクラブ限定ライブ『'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町』開催。デビュー以来、初めて本格的にライブハウスで行われた。
o 12月10日、DVDソフト『SPACE MOSA』発売。
o 12月27日 - 31日、年越しライブ『晴れ着 DE ポン』開催。開演前に『TSUNAMI』のPVが初公開。中盤で初演奏された。ミレニアムメドレーと題したメドレーコーナーも組まれた。また、この年よりステージ後方の客席も解放し、より多くのファンが参加できるようになった。後方からも見られるライブは新鮮で、ファンからも好評を得る。

[編集] 2000年代

* 2000年
o 1月26日、44thシングル『TSUNAMI』発売。シングルとしての自己最高セールスを記録。サザン最大のヒット曲に。
o 『TSUNAMI』で第14回日本ゴールドディスク大賞でソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
o 2月26日、ライブビデオ『シークレットライブ'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町』発売。
o 7月19日、45thシングル『HOTEL PACIFIC』発売。
o 8月19・20日、地元住民の署名活動が実り、1981年のツアー以来19年ぶりに茅ヶ崎の茅ヶ崎公園野球場で2日間のコンサート『茅ヶ崎ライブ 〜‎あなただけの茅ヶ崎〜‎』を行う。18日にはファンクラブ会員と地元市民を客席に招き公開ゲネプロ(本番同様のリハーサル)も行い、実質3公演とも言えるライブであった。なお、このライブ直後に大森がサザンとしての活動を休止する発表をしたため、これが6人編成での最後のライブとなった。
o 11月1日、46thシングル『この青い空、みどり ‎〜BLUE IN GREEN〜‎‎』発売。
o 11月22日、13年ぶりのバラッド第3弾『バラッド3 〜‎the album of LOVE〜』発売。次々と最年長記録を樹立し、セールスも280万枚を超えるものとなる。
o 11月30日、『TSUNAMI』で2000年度オリコン年間シングルセールスチャート第1位を記録。同カラオケチャートでも年間1位を記録した。
o 更に『TSUNAMI』が2000年CDTV年間シングルチャート第1位を記録。
o 12月27日、年越しライブ『ゴン太くんのつどい』開催。大森の穴を埋めるためのサポートギタリストとして斎藤誠が参加し、これが事実上5人編成での最初のライブとなった。
o 12月31日、『TSUNAMI』で初の日本レコード大賞を受賞。年越しライブの準備中横浜アリーナから受賞会場に駆けつけ、『ようやくひばりさんの背中が見えました』とのコメントを残す。直後に再び横浜アリーナに向かい年越しライブを行う。
* 2001年
o 『バラッド3 〜the album of LOVE〜』で第15回日本ゴールドディスク大賞・ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
o 『TSUNAMI』が2001年JASRAC賞 金賞、カラオケ分配額最高位を獲得。
o 8月11日、8月7日付で大森が正式に独立したことを『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜‎やさしい夜遊び〜』内で発表。
* 2002年
o 大森独立の影響で一時バンド活動休止。主に桑田がソロ活動を行う。
* 2003年
o 6月25日、デビュー25周年を記念し、25万セット限定でデビューシングル『勝手にシンドバッド』を特例の再発。翌週にはオリコンチャートで発売から25年経過してのオリコン1位獲得という記録を樹立。
o 6月28日、ファンクラブ限定ライブ『建長寺ライブ』開催。この模様はフジテレビ系『FNS27時間テレビ みんなのうた』内の『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』の企画として放送された。
o 7月23日、47thシングル『涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎』発売。本格的に活動を再開する。
o 野沢が持病のヘルニアのためサザンとしての活動を休止。
o 8月16日、25 周年野外ライブツアー『流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜』スタート。タイトルは桑田のラジオ番組で回文を募集し、つけられたものである。定番曲に加え、それまでライブで唄われる事が少なかった初期の曲もメドレーで演奏された。札幌・福岡でのファンクラブ限定ライブハウス公演と横浜・名古屋・神戸での本公演の他、特別公演として沖縄でも開かれた。
o 8月30日、初のイメージビデオ『Inside Outside U・M・I』発売。サザンの夏をイメージした楽曲をBGMに、海の映像などを収録したイメージビデオになっている。
o 11月30日、HMVが発表したhttp://www.hmv.co.jp/news/newsDetail.asp?newsnum=311040091 邦楽アーティストの重要な100人 (Top 100 Japanese pops Artists - No.1)]』の第1位に選ばれる。
o 12月17日、ライブビデオ『SUMMER LIVE 2003「流石だスペシャルボックス」胸いっぱいの "LIVE in 沖縄" & 愛と情熱の "真夏ツアー完全版"』発売。1万円を越す高額商品にも拘らず、オリコンDVDチャートで1位を獲得し、セールスも10万枚を超える大ヒットとなった。
* 2004年
o 『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』で第18回日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
o 4月14日、48thシングル『彩 〜‎Aja〜‎』発売。
o 7月18日、ファンクラブ限定ライブ『真夏の夜の生ライブ 海の日スペシャル』開催。同日深夜に『サザンオールスターズ 真夏の夜の生ライブ 〜海の日スペシャル〜』と題しフジテレビがこのライブを生中継。
o 7月21日、49thシングル『君こそスターだ/夢に消えたジュリア』発売。オリコン初登場1位を獲得、シングル通算TOP10入り記録を39とし、田原俊彦とタイとなる。
o 11月24日、50thシングル『愛と欲望の日々/LONELY WOMAN』発売。オリコン初登場1位を獲得しチャートトップ10入り通算40作を達成。自らの持つ39作の記録を更新し同記録の単独トップとなる。
o 12月15日、初のPV集『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』発売。
o 12月27日、年越しライブ『暮れのサナカ』開催。タイトルは前年に続き桑田のラジオ番組で公募された。中盤では「横浜探偵物語」と題しスクリーンでの『探偵物語』のパロディーコントに合わせ、横浜に因んだサザンの楽曲と青江三奈・淡谷のり子・いしだあゆみ・中村雅俊等の横浜ソングのメドレーコーナーも設けられた。
* 2005年
o 『君こそスターだ/夢に消えたジュリア』で第19回日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。更にDVD『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』でミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤーを受賞。
o 3月31日、『愛と欲望の日々』でSPACE SHOWER Music Video Awards 05・BEST ART DIRECTION VIDEOを受賞。
o 6月25日、『TSUNAMI』までのシングル作品44枚を再リリースし24日付のオリコンデイリーチャートTOP50内に44作品全てがランクイン。また、翌週のウィークリーチャートでもTOP100内に44作同時ランクインし、同一アーティストの作品の同時ランクイン数を塗り変えた(それまでの記録は松任谷由実の16作、3位(14作)、4位(12作)は共にサザン)。オリジナル盤と合算する事により、1983年の『東京シャッフル』以降すべてのシングルが、オリコンでの累計売上10万枚以上を記録していることとなった。更に『TSUNAMI』は『だんご3兄弟』を抜いてオリコンシングルセールス歴代3位(293万枚・CDシングルとしては単独1位)となった。
o 野沢がヘルニアのためサザンとしての活動を再度休止。
o 7月20日、51stシングル『BOHBO No.5/神の島遥か国』発売。
o 8月7日、国営ひたち海浜公園で行われた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005」にバンドとしては初出演。3日間にわたるフェスの最終日、メインステージの最後を飾った。
o 10月5日、13thアルバム『キラーストリート』発売、前作『さくら』以来7年振りとなるオリジナルアルバムで、前作の初動売り上げを大きく上回る63万枚を発売1週目で売り上げる。その後、11月15日付のオリコンチャートで2枚組オリジナルアルバムによるミリオンセラーをB'zの『The 7th Blues』以来11年8ヵ月ぶりに達成。
o 10月13日、6年ぶりの全国ツアー『みんなが好きです!』が広島からスタートし、12月31日に横浜アリーナでの恒例年越し公演まで5大ドームツアーを含めた全21公演を行う。
* 2006年
o 『キラーストリート』で第20回日本ゴールドディスク大賞・ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
o 3月15日、サザンとしては初のドキュメントビデオを含めたライブDVD『FILM KILLER STREET (Director's Cut) & LIVE at TOKYO DOME』を発売。
o 8月9日、52ndシングル『DIRTY OLD MAN 〜‎さらば夏よ〜‎』発売。オリコン初登場1位を獲得、2週目にも2位を記録し、シングル通算TOP10入り週数が240週となり、山口百恵を抜き歴代単独1位となる。
o 8月26・27日、桑田の呼びかけでサザンオールスターズを中心にアミューズの人気アーティストや、桑田と親交の深いアーティストがゲストとして挙って出演した野外フェスティバル『THE 夢人島 Fes.2006』を行う。サザン及び桑田が主催するフェスティバルの開催は初。
* 2007年
o 1月、ビクターエンタテインメントとアミューズがサザンの楽曲管理・配信などを行う合弁会社「タイシタレーベルミュージック」を設立する予定。[1]
o 4月、桑田のソロ活動決定が発表され、再びバンドでの活動が休止。


wikipediaから引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
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2008.05.19 | J-POP

サザンオールスターズ

サザンオールスターズをwikipediaで調べてみました
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サザンオールスターズ(Southern All Stars, 台湾訳:南方之星,中国訳:南天群星)は、日本の音楽バンド。略称は「サザン」。「SAS」と略記されることもある。リーダーは桑田佳祐[1]。所属事務所はアミューズ、レコード会社はビクターエンタテインメント(ビクターTAISHITAレーベル)。これまでのアルバム、シングルの情報についてはサザンオールスターズのディスコグラフィを参照。

メンバー

* 桑田佳祐/リードボーカル、ギター(リーダー)
* 関口和之/ベース、コーラス、ボーカル
* 松田弘/ドラム、コーラス、ボーカル
* 原由子/キーボード、ボーカル、コーラス
* 野沢秀行/パーカッション、コーラス
* 大森隆志/リードギター、ボーカル(2001年8月7日付けで独立)
o 各メンバーがコーラスを担当、更に野沢以外はメインボーカル曲があり、作詞・作曲もこなす。
o シングル曲など殆どを桑田が作詞曲を担当。
o 連名は基本的に桑田、大森、関口、松田、原、野沢の順で統一されている。
o 大森脱退後は桑田、関口、松田、原、野沢の順になっている。

[編集] 歴史

各メンバーのソロ活動については個々のページ参照。

[編集] 結成〜デビュー

1975年頃、青山学院大学で活動が始まり[1]、音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される[1]。初期の頃は“温泉あんまももひきバンド”、“ピストン桑田とシリンダーズ”、“ピストン桑田と脳卒中”、“桑田佳祐とヒッチコック劇場”など、奇抜なバンド名でコンテスト毎に何度もバンド名とメンバーを変更していたが[1]、最終的には原由子参入の際、桑田の友人が風呂の中で安易に思いついたという「サザン・ロックとファニア・オールスターズを組み合わせた」“サザンオールスターズ”を使用する[2]。この「オールスターズ」には、これ以上バンド名を考えるのが面倒で、また、メンバーチェンジがあってもいいように流動的に入れ替わる全てのメンバーを総称してのバンド名という意味もあった[2]。また、当初は“桑田佳祐&サザンオールスターズ”と名乗っていた[2]。「サザンオールスターズ」名義での最初のライブは公式ページには1976年4月11日と記されており、この時桑田は「じゃあ司会が『サザンオールスターズの皆さんです』と紹介したら出るんだな?」と段取りの確認を行っただけだったとされる。

その後、幾度かのメンバーチェンジの後、1977年にアマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest '77」に出場し桑田がベストボーカル賞を獲得。この頃には青学生ではなかった松田弘・野沢秀行も加わりメンバーはデビュー時の6人に固まった[1]。この編成は、サザン・ロックの雄・リトル・フィートの、リードギター・サイドギター・ベース・ドラムス・キーボード・パーカッションの6 人編成と同じという所以もある。当時はセミプロとして活動していた野沢は当初バンドへの参加を断り続けていたが、コンクール出場が決定した際になって突如参加することになったという経緯があった。冗談ではあるが、この後メンバーによって「知らない間に野沢がメンバーに加わっていた」「今現在も正式メンバーではない」ともいわれている[3]。この頃には頭部分の「桑田佳祐 &」が取れ、グループ名がサザンオールスターズとなる[2][4]。なお、原の著書によればこの頃に一度だけ「パロディハウス」という名前に変えようとしたが、「ダサい」との理由で即サザンオールスターズに戻したという。公式ページではこの1972年から1977年までを「夜明け前」と呼称している。

1978年6月25日にシングル『勝手にシンドバッド』でビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)からデビューし、それまであった歌謡曲やロックなどのジャンルに全く当てはまらない、衝撃的な印象を残す。年内には同曲のスマッシュヒットで一躍スターダムにのし上がった。だが、当初は桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言[5][6]ジョギングシャツ+ジョギングパンツスタイル、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌などからコミックバンドと評される向きもあった[2]。

だが、翌年の3月25日に発売した3rdシングル『いとしのエリー』の発表後から「本格派の音楽バンド」という評価を受け始めるようになり、その人気を確実なものにした[7]。しかし、その中での多忙な生活は桑田を苦しめ、一時期ノイローゼになるほどに疲れきっていたと語っている[1]。そのような中“FIVE ROCK SHOW”と銘打って「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」と発表することになる[8]。

[編集] 音楽製作に専念〜『KAMAKURA』後サザン活動休止へ

1980年、“FIVE ROCK SHOW”計画がスタート。「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」と発表したが、そのシングルはメディアへの露出が大幅に減ったのも影響したのか、どれもスマッシュヒットには至らなかった。この間1981年発売のシングル『Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)』は現在でもサザンの全シングル中ワーストの売り上げを記録している[9]。

アルバムは毎回チャート上位を獲得するものの、シングルは売り上げが低迷する状態が続いた。1982年、1月21日に発売したシングル『チャコの海岸物語』が大ヒットした。桑田は当時人気絶頂であったアイドル・田原俊彦の声色を意識して歌うなど、起死回生を賭けた開き直りの歌謡曲だった[10]。この直後、桑田と原は結婚を発表し、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』などでも祝福され、結婚式にはファンを呼ぶなど公私共に祝事が続いた。

その後アルバム『綺麗』の頃は少し売り上げを落としたが、翌年のアルバム『人気者で行こう』は代表曲『ミス・ブランニュー・デイ』のシングルヒットもあり好調な売り上げを記録、そして1985年にはサザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売した。長期にレコーディングを重ねたこの濃密なアルバムは、サザン史上最高のアルバムとして評されている[1]。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動もひとつの頂点に達してしまったため、一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。

[編集] 活動再開〜小林とのコラボ、黄金期へ

1988年6月25日、デビュー10周年の日にシングル『みんなのうた』を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。ここで初めてサザンに小林武史がアレンジ面、プロデュース業に加わり、それまでのサザンには無い斬新な仕上がりで、その後のサザンライブの定番曲となった。この前年に桑田はソロアルバムで小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており[11]、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。

翌年にはシングル『さよならベイビー』でデビュー11年目にして初のオリコンシングルウィークリーチャート1位を獲得した。桑田は映画『稲村ジェーン』の監督も手掛け、その主題歌『真夏の果実』は売り上げ的に大ヒットにはならなかったが、現在では夏をイメージさせるJ-POPの定番曲となるほどの人気を博している。

この頃から楽曲製作に関しては「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー+マニピュレーター」という図式が成り立つようになり、現在では「桑田の密室芸」、「ワンマン製作」などとも言われている。特に小林とタッグを組んでいた時などはその傾向が色濃く見られたが、パートナー関係が離れてからも製作はそのようなメンバーで進むようになった[12]。小林はまた桑田とともに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた[13]。

1991年には関口が病気療養で休養に入るが、1992年、7月21日に『シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度』『涙のキッス』を2枚同時発売し、サザン初、そしてオリコンとしても初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。『涙のキッス』はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、1ヶ月近くオリコン首位をキープするなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した[14]。

1993年には『エロティカ・セブン』がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録[15]。そんな中、1994年には桑田がソロ活動を再開、サザンの活動は約1年間休止となった。

[編集] セルフアレンジ時代へ

小林武史がアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、シングル『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており[16]、蜜月の終わりを示唆している。この「危ないヤツ」という表現は、人間性を否定しているものではなく、アレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて、小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである。その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林とMr.Childrenの桜井和寿らが中心となって活動するap bank fesへの出演など、作品面以外での交友が続いている。

これらの発言にあるように小林との音楽的な交流は1994年の活動休止時に終了し、これ以降プロデュース名義はサザンのみとなり、一部のミュージシャンが共同製作にあたるものの、小林ほど深く指揮をとっているわけではない。自身のラジオ番組『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜やさしい夜遊び〜』で桑田は「アレンジってやってみるととても楽しい」とその後よく語っているが、一方で専門的知識を必要とするアレンジ作業に苦しむコメントも窺え、また、リリースにも多くの時間がかかるようになった。

1995年、関口が長期の休養から復帰し、5月22日にシングル『マンピーのG★SPOT』で活動を再開。直後に発売されたシングル『あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜‎』はフジテレビの「月9」枠ドラマ「いつかまた逢える」の主題歌として起用され、ミリオンを超えるセールスを記録した。その後も1996年に『愛の言霊 〜‎Spiritual Message』がミリオン突破するなどし、アルバム『Young Love』は過去最高のアルバム売り上げを記録した。

しかし、1997年あたりからサザンのイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠い、ハードロックなどを意識した曲を多くリリースするようになり、ライトファン離れが急激に加速していった。1998年にはベストアルバムリリースブームの中『海のYeah!!』を発売、大ヒットを記録するが、直後発売したオリジナルアルバム『さくら』は暗い作風や、上記のハードロックを意識した作品であることもあり、過去3作連続で記録したミリオンを僅かに下回り、1999年には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したものの、『イエローマン 〜‎星の王子様〜‎』がノンタイアップとはいえ、累計で10万枚を(オリジナル盤)下回る結果となった。

[編集] 『TSUNAMI』記録的ヒット、大森の独立

1999年9月26日、27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ『可愛いミーナ』の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。翌2000年、1月26日にシングル『TSUNAMI』を発売。この曲は前述のイベントから生まれた曲であり、「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。このヒット以降、サザンはある程度保守的な方向性へとシフトチェンジしていく。

当時大人気だったTBS系バラエティ番組『ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとなり、名曲「栞のテーマ」を思わせるかのような切ないラブバラードのこの曲は、日本音楽史上記録的な大ヒットとなる。再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、オリコン歴代シングル売り上げランキングで3位に、シングルCDとしては現在1位に付けている。かねて何度も逃したレコード大賞も獲得した。この曲を機にサザンはセールス低迷から脱け出し、続く『HOTEL PACIFIC』もヒットを記録、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間の野外ライブ『茅ヶ崎ライブ 〜‎あなただけの茅ヶ崎〜』を行った。

一方、そのライブが終了した直後大森が休養を発表し、翌2001年には正式に独立を発表しメンバーから脱退した。その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。シングル「波乗りジョニー」「白い恋人達」がそれぞれミリオンを超える大ヒットを飛ばした。

[編集] 25周年での活動再開、再びの活動休止へ

2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げオリコンウィークリーチャートで1位を記録。発売から25年かけての1位は異例だった。また同日にFMラジオ局のいくつかが24時間サザン特集を実施するなど、今なお幅広い人気を見せつけている。

7月23日、シングル『涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎』をリリースし活動再開。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い、復活をアピールした。ただ、ファンの間からは「復活以降のシングルは売れ線ばかり」「『さくら』の頃のようなロックな曲が聞きたい」などとの声も上がっている。2005年には『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『キラーストリート』を発売し、『Young Love』以来のミリオンを記録する。2006年にはTHE 夢人島Fes.を開催し、サザンオールスターズとしてもプロモーションのため精力的に活動したが、2007年4月には桑田佳祐のソロ活動再開に伴い再び休止することとなった。

[編集] 現在

デビューシングル「勝手にシンドバッド」から29年以上経った現在でも、老若男女問わず高い人気を集める、まさに日本の“モンスターバンド”である。活動期間が30年近くに渡りながらも、今もなお音楽チャートで1位を獲得したり、オリジナルアルバムがミリオンセラーを記録するバンドはこれまで登場しておらず、四半世紀以上第一線で活躍する唯一無二のバンドである[1]。現在の最新作は、2006年発売の『DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜‎‎』となっている。但し2008年は結成30周年でサザン復活を桑田は示唆している。


wikipediaから引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
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2008.05.15 | J-POP

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